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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)9194号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

田宮甫

堤義成

鈴木純

行方美彦

吉田繁實

右訴訟復代理人弁護士

白土麻子

被告

右訴訟代理人弁護士

小山勲

小杉公一

右訴訟復代理人弁護士

小林康志

主文

一  被告は、原告に対し、金一九二二万〇九八〇円及びこれに対する昭和六二年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

理由

一  請求原因1ないし3、5及び6の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁1につき判断する。

1  ≪証拠≫並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件土地は、もと借地であり、本件土地を含む土地上の建物にAの母親が居住していたが、昭和二二年ころ、A、B夫婦及び原・被告らが居住するようになった。その後、本件土地の所有者が、税金の支払のために本件土地を物納し、昭和二八年、Aがその払下げを受けて所有権を取得した。

(二)  本件土地を含む土地は、昭和四七年に分筆されたが、昭和四八年、原告が婚姻するのを機に、Aは、本件土地上に、A、B夫婦と原告夫婦が共に居住することを目的にして、一階と二階がほぼ独立して生活できるような構造の建物を建築し、一階部分をA夫婦が、二階部分を原告夫婦が、それぞれ使用して居住するようになった。なお、原告は、Aに対し、家賃として金員を支払ったことはなく、また、A及びBの生活費を負担したこともなかった。

また、当時、被告は建物を賃借して居住し、Cは、夫とともに転勤しながら社宅に居住していた。

(三)  Aは、昭和五三年ころには、本件土地及び建物を同居していた原告に相続させる旨の遺言を作成したこともあったが、昭和五六年ころからは入退院を繰り返すようになり、そのころから原告の家族とA又はBとの関係がスムーズにいかなくなり、昭和六〇年には、本件土地及び本件建物を被告に遺贈する旨の遺言をするに至り、Aは、昭和六二年七月三日に死亡した。

(四)  原告は、平成元年三月ころまでは家族とともに、平成二年夏ころまでは、単身、本件建物に居住し、それ以後も、荷物を置いて二階部分を占有しており、Bは、本件建物の一階部分に居住し続けている。

以上のとおり認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果中の部分は採用することができず、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  以上のとおり、原告は、昭和四八年以降、A所有の本件建物の二階部分に家族で居住しており、それに対する家賃をAに支払ってはいないが、右認定の事実によれば、原告が本件建物の二階部分に居住したのは、原告の家族とA夫婦との同居によるものであり、親子としての同居であって、原告側が一方的に居住の利益を享受していたものとまでは認めることはできず、原告及びその家族が居住してきたことによる利益は、相続分の前渡しと評価し得るものではないから、そのような場合の居住の利益は遺留分算定の基礎となる生前贈与には該当しないというべきである。

また、原告は、A死亡後も現在まで同部分を占有しているが、これも、相続財産の取得と評価することはできない。

よって、抗弁1は理由がない。

三  抗弁2について判断するに、抗弁2は、負担付遺贈に対する遺留分減殺については、負担相当分は遺贈された財産の価格から控除すべきとの主張であるが、負担付遺贈に対して遺留分減殺がなされた場合については、一〇〇三条により、受遺者は、減殺によって減少した割合に応じて負担した義務を免れるに止まり、遺留分権利者の遺留分割合には何らの影響も及ぼさないから、主張自体失当である。

四  抗弁3について判断する。

≪証拠≫によれば、原告は、昭和四八年に婚姻し、その際出席者九〇名程度の結婚式を行った事実及び結婚式の費用の一部をAが負担した事実は認められるが、他方で、原告の妻側もその費用の一部を負担した事実も認められるところであり、Aが負担した金額や割合については認定するに足りる証拠がなく、したがって、遺留分算定の基礎となる生前贈与に該当することを認めるに足りないと言わざるを得ない。

よって、抗弁3も理由がない。

五  抗弁4について判断するに、≪証拠≫によれば、原告は、国立の大学及び大学院に通い、大学の学費の一部をAが負担したことは認められるが、同時に、原告が受けた奨学金やアルバイトによる収入も学費に充てられたこと、大学院の学費については、奨学金、アルバイトによる収入などによって賄い、Aの援助はほとんど受けていないことが認められ、また、被告は、私立大学に通ったが、その学費についてはAがそのほとんどを負担した事実にも照らすと、Aがした原告の大学の学費の負担は、親としての扶養義務の範囲内に止まるものというべきであり、これをもって生計の資本としての贈与をしたものとみることはできない。

よって、抗弁4も理由がない。

六  そこで、原告が侵害された遺留分の割合について検討する。

1  別紙遺産目録記載の各財産がAの遺産であったことは当事者間に争いがない。また、≪証拠≫によれば、Aの遺言に記載されていた大東京信用組合目黒支店及び三菱銀行目黒支店の各定期預金については相続開始当時存在していなかったことを認めることができる。

2  ≪証拠≫によれば、本件土地の相続開始時の価格は二億七七〇〇万円、本件建物の同時点での価格は七八〇万円であったことが認められる。また、別紙遺産目録三記載の預貯金関係の遺産の合計額は四五八万五一七三円であるから、Aの遺産の相続開始時点での価格合計は、二億八九三八万五一七三円となる。

したがって、原告の遺留分額は、右金額に原告の遺留分割合である一二分の一を乗じた二四一一万五四三一円(一円未満切捨て)となる。

3  ≪証拠≫によれば、Aの相続によって原告が取得した遺産は、別紙遺産目録三記載の預貯金のうち1及び2記載のもの合計四五八万五〇〇〇円であるから、結局原告が、被告への遺贈によって侵害された遺留分の額は一九五三万〇四三一円となる。

したがって、原告が、遺留分減殺請求権を行使することによって、原告は、本件土地及び本件建物につき、二億八九三八万五一七三分の一九五三万〇四三一の割合による共有持分権を取得したものと認めることができる。

七  請求原因6の事実については、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右のように、遺留分権利者である原告が遺留分減殺の意思表示をなした後、受遺者である被告が、遺留分減殺の対象となった財産を第三者に売却処分した場合については、原告は、民法一〇四〇条一項本文の規定により、被告に価額弁償を求めることはできず、不法行為の要件を充たす場合に限り、損害賠償の請求ができるにとどまると解すべきである。

すなわち、遺留分減殺請求権は形成権と解すべきであり、減殺の意思表示がなされた時点で遺留分侵害行為はその部分の限度で遡及的に効力を失い、不動産については受遺者と遺留分権利者がそれぞれの持分割合で共有する関係に立つことになるから、それ以後は右によって新たに形成された権利関係を基礎にして物権・債権的な関係を生ずるに過ぎず、更に遺留分に関する民法の規定を適用する余地はないと解すべきであり(なお、民法一〇四〇条一項が「減殺を受けるべき」と規定し、「減殺を受けた」と規定していないことも、減殺の意思表示後の権利移転等の場合には適用されないことを示しているとみることができる)、本件のように、受遺者が遺留分権利者の持分部分を含めて当該不動産を売却した場合には、共有持分権者の一人が他の共有者の持分を含めて共有物全部を売却した場合と解すべきであって、一〇四〇条の適用を認めることはできないということができる。

そこで、不法行為の成否につき検討するに、権利を譲り受けた第三者と遺留分権利者の関係は、登記の有無によってその優劣を決すべきであり、右第三者が先に登記を経た場合には、遺留分権利者は遺留分減殺に基づく権利移転を第三者に対して主張できなくなるところ、本件では、権利を譲り受けた第三者である訴外会社は既に移転登記を経ており、原告は、訴外会社に対して遺留分減殺によって取得した持分権を主張することができなくなったこと、被告は、遺留分減殺の意思表示を受け、本件土地及び本件建物の持分の一部が原告に移転したことを知りながら本件土地及び本件建物を訴外会社に売却しており、原告の権利を侵害するについて故意又は過失があったことは明らかであるから、不法行為が成立し、原告が被った損害を賠償する義務があるというべきである。そして、損害額については、遺留分減殺によって原告が取得した共有持分割合の価格が損害であるとみるべきであり、本件土地及び本件建物の価格の合計額二億八四八〇万円に対する二億八九三八万五一七三分の一九五三万〇四三一の割合である一九二二万〇九八〇円(一円未満切捨て)が原告に発生した損害と認めることができる。

八  以上のとおり、原告の請求は、金一九二二万〇九八〇円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年一〇月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用

(裁判官 金村敏彦)

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